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台北駅東方500mの中山北路と市民大道の交差点にある[国父史跡館]へ行く。孫文は3度台湾を訪れているのですが、この建物は1913年2度目の来台時に宿泊した日本旅館「梅屋敷」を再現した建物です。

池のほとりでは雨中、女性が微笑みながら水面を見つめていました。
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「梅屋敷」は日本人「大和宗吉」が1900年に建築した4面を縁側に囲まれた約50坪の長方形平屋建ての日本旅館である。旧址は現在地より50m南西の地、日本時代は御成町と呼ばれた地にあった。地下鉄工事の為1983年現在地に移築され、1986年11/12日、国父の誕生日に合わせ竣工祝いをした。
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1946年に[国父史跡紀念館]に、1998年には台北市歴史建築指定、更に[国父史跡館]に命名変更した。館内には、孫文の関係文物史料、写真、サンフランシスコ在時に使用した執務用の机、椅子等が展示されている。
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床の間に掛けられている額「博愛」は、1913年宿泊時に「大和宗吉」に贈られたものです。(フラッシュ不可の為、暗い)。
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孫文は日本風に言う姓は孫、名は文である。そして字を逸仙、号を中山と言った。「逸仙公園」は孫文の字からきています。「梅屋敷」の由来通り往時は梅が咲き乱れていたのだろう。訪れた時は蕾の状態でした。案内の人は、もう少し経つと白とピンクの花が咲き綺麗ですよ、と言っていた。

【建物】1900年(明治33年)竣工。市定歴史建築。
【設計】
【場所】MRT台北徒歩10分。

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郷愁を誘う日本家屋9棟が「直轄市定古跡」に認定されております。場所は中正区、MRT忠孝新生駅徒歩8分程度の所に有ります。近所には大阪の日本橋、東京なら秋葉原の様なパソコンの街「光華商場」や国立台北科技大学が有り若者で賑わっております。

崩壊寸前の日本家屋。
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建物が片付けられ改築を待つ敷地。
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保存の為、改築された建物。これから100年後も日本人の足跡として存在し続けてくれるのだろう。慾をいえば改築ではなく、昔の雰囲気を残した改修工事が可能な時期に手を加えて欲しかった。
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【建物】1920年代~1940年代 斉東街の日本家屋。市定古跡
【場所】MRT忠孝新生駅徒歩10分。中正区斉東街53巷11号他。

また近所には初代台湾総督華山資紀の名に由来する「華山1914創意文化園区」という文化施設も有ります。ここには台北を訪れた日本人がよく顔出しする青葉新楽園が出店しバイキング式の雰囲気の良いサービスをしております。酒造工場の敷地跡を利用しているので、ノスタルジックと新しい文化が交じり合った不思議な空間となっております。
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【建物】1916年(大正5年)竣工。市定古跡。 旧・台北酒工廠。
【場所】MRT忠孝新生駅徒歩10分。
この近所には風格の有るホテル「国際大旅社」、「草山御賓館」そして「草山衆楽園」現在の陽明山教師会館、「中山楼」が有る。

終戦までは北投と並ぶ温泉地として知られてきた場所だ。ここは台北を一望できる景勝地で、かつて「草山衆楽園」と呼ばれた台湾最大の公共娯楽施設があった。敷地面積565坪に2階建ての大型建築が建つ。
【建物】1929年(昭和4年)竣工。市定古跡。
【設計】
【場所】MRTの最寄駅からバス。台北市北投区陽明山建国街2号。
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昔の絵葉書
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現在は陽明山教師会館として使用されており、かっての姿を偲ぶものは外観のみである。玄関左に事務所が有り、日本から来た事を伝えると、改修工事中にも関わらず館内の日本時代のものを紹介してくれました。
2011.06.06現在
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昔の絵葉書 (階段に注意)
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【台北州庁舎】 (現)監察院
【建物】1915年(大正4年)竣工。国定古跡。
【設計者】森山松之助  他に総督府・総督官邸・専売局などの官庁建築が有る。
【場所】MRT台北駅から徒歩5分(7番or8番出口)。台北市忠孝東路1段2号。
    台北駅から東へ200m、忠孝東路と中山南路の南東交差点。
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台湾省政府衛生処、教育庁を経て1958年より監察院として使用されている。監察院は各種国家機関や公務員を監督・調査及び財政状況・決算等の会計監査を行う国家機関です。さらに中山南路を200m程度南下すると濟南教会がある。

台北州知事公舎
台湾大学法学院正門前にある旧[台北州知事公舎]です。MRT善導寺駅5番出口、延紹興南街を南に10分。
現在はカルチャースクールや喫茶食事ができるスペースとして保存利用されています。このような形で利用されている日本時代の建築物は、台北市内だけでも、数か所あります。





    2011.07.22 [228紀念館」32
    1997年2月28日、[228紀念館」として開館され、更に改修が施され2011.2.28.にリニュアル・オープンされた。
    日本時代は台湾広播電台放送亭の建物であった。ちなみに放送亭はラジオ局を意味し台湾総督府の支援の下で台北・板橋・台中・台南・嘉・花蓮等に放送局が設置され、台湾放送協会により運営されていた。
    【建物】1934年(昭和9年)竣工。2級古跡。
    【設計】栗山 俊一
    【場所】MRT台大医院駅徒歩5分。中正区228和平公園内。
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    歴史的意味のある放送がこの建物でされています。一つは1945年8月15日正午の玉音放送であり(日本がポツダム宣言を受諾して降伏し、第二次世界大戦が終結したことが伝えられた)、あと一つは国民党政府統治下の1948年2月28日に発生した二二八事件時に、放送局を占拠した市民が軍艦マーチとともに事件の情報を伝えた台湾全土に放送した。
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    【二・二八事件】の解説は他に譲るとして、「事件当時はまだ日本国籍を有していた」と解説する人が有り、国際的な法的解釈はどうなんだろうか?
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      「228国家紀念館」
      【建物】1931年(昭和6年)竣工。3級古跡。
      【設計】井出薫。
      【場所】MRT中正紀念堂駅徒歩10分。台北市中正区南海路54号。重慶南路と南海路の交差点に位置。
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      建物は変遷をしながら現在の「228国家紀念館」に至っております。
      1931~1945。「台湾教育会館」台湾初の近代的な芸術文化展覧館であった。
      1946~1951。「台湾省参議会」戦後最も重要な民主主義の殿堂となった。
      1959~1978。「米国駐台新聞処」米国の新聞社が借用しメディアの場となる。
      1979~2002。「米国文化センター」台米断交後の新名称
      2011’2月28日。「228国家紀念館」開館。
      この使用者の変遷をみればこの建物が「228国家紀念館」に指定された理由が分かります。「228事件」の解説はWIKIPEDIAをご覧ください。

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        士林地区の「芝山公園」に教育の聖地と言われる場所が有る。ちなみに広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

        「芝山巌事件」の舞台となった現在の「芝山公園」入口
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        国語塾「芝山巌学堂」は「芝山巖惠濟宮」の後殿を使って開設された。
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        惠濟宮の住職は、国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれました。
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        戦後、倒され放置されていた伊藤博文揮毫の「學務官僚遭難之碑」
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        立て直された状態の良い「故教育者姓名碑」。台湾人教育者の名も刻まれています。
        周辺には破壊され放置されている碑が数個あり、これも歴史を物語るものとして貴重な資料です。
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        「芝山巖神社」の参道跡
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        芝山巌の頂上に建立された殉職「六氏先生之墓」。
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        芝山巖學堂が開設されて百年目の1995年(平成7年)後身の士林国民小学校の卒業生有志によって再建された。

        開校3か月後の(1895年明治28年)10月19日には第一期学生7名が卒業しております。
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        PS.「芝山巌事件」
        1896年(明治29年元旦)台北北郊の芝山巌で日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺された事件。

        1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた日本は6月に総督府を、そのわずか1か月後の7月には芝山巌恵済宮に国語塾「芝山巌学堂」を開校した。
        これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたのだろう。
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        日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されており「芝山巌学堂」の6人の教師達に避難することを人々は勧めた。
        しかし教育に命を懸けていた教師達は意に介さず「芝山巌学堂」を立去らなかった。そして叛乱勢力の襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事だ。このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称され教師の目指すものとされた。
        関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
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        この事件を機に芝山巌は“教育聖地”と讃えられ、1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

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          「草山御賓館」
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          【建物】1923年(大正12年)竣工。市定古跡。
          【設計】
          【場所】陽明山「中山楼」附近。台北市士林区新園街1号。

          内部は未公開のようです。
          「未確認情報」1923年の昭和天皇(皇太子時代)台湾行幸にあわせ建築されたと聞く。蒋介石が使用した時期がある。
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            2009年7/4正式開通した捷運(地下鉄)文湖線の一駅[内湖]を歩く。内湖区内には台北駅方面から[西湖][港乾][文徳][内湖][大湖公園][葫洲][東湖]の7駅がある。水に関係する駅名が多いのは内湖区全体が湖だったからだ。

            内湖文化史研究家[陳金讃]氏に紹介いただいた土地の生き字引[謝樹地]さんによると、戦時中は台北市内からの疎開や食物を求める人が日参してきた。その交換レートは台北市内の家一軒とガチョウ一匹だったと言って笑われていた。空襲でいつ焼けるかわからない市内の家は値打ちがなかったのだと。

            戦後の住宅需要の最盛期には住宅建築用のレンガを作る工場が30か所余り稼働し、MRT港乾駅の[内湖高工]一帯では赤土を取る為3m程度掘り下げた地中から、流木やイカリの鎖などが発掘されたという。

            その内湖にも昭和30年頃になる人口増による宅地化の波が押し寄せ1200haの田圃が失われ今は新興住宅街になってしまったと、昔の風景を懐かしむような顔をされていた。

            日本時代の建物「内湖庄役場会議室」これに隣接し「米穀局統制倉庫」「派出所」の3棟が残されている。
            1930年竣工の「内湖庄役場会議室」は古跡認定されている。戦後、一時期「中山堂」として使われたようだが現在は「区民活動センター」として利用されている。
            【建物】1930年(昭和5年)。市定古跡。
            【場所】MRT内湖駅徒歩10分。内湖区内湖路2段342号。
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            「米穀局統制倉庫」は一部を残し駐車場に変わっている。
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            [派出所]は道路をへだてた全面の新館に移動している。旧舎は2010.10月初旬取り壊されます。
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            前述の「謝樹地」さんによると、私達は今でも「会議室」と呼んでいるとの事だった。「内湖庄役場会議室」の並びには[郵局倉庫]や戦後建築されたであろう[区役所戸籍事務所]の建物などがあり、この一帯が内湖の役所街だったことがうかがえる。[区役所戸籍事務所]が利用していた建物と「派出所」は解体される運命だ。
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            「謝樹地」さんは、大正11年生まれの88歳の矍鑠たる人物で、美しい日本語を話され、今でも日本のTV番組を通じて日本と繋がっている、そして内湖庄役場に昭和16年から46年2か月26日間、勤めた、そしてこの間、役場を離れたのは軍事訓練の6か月間だけだと話された。まさに内湖地区の生き字引のような人だ。

            戦前、戦中、戦後のお話の中で終戦時、日本政府の指示により、3日3晩かけて、役場内にある全書類を焼却したという話、そしてNHKの[のど自慢][相撲]を必ず見るとの事には、何か考えさせられるものがあった。又、終戦時には54人いた役場職員が国民党政府によって18人に減らされてしまった、私は18人の中の一人だった、とも言われていた。





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              台湾は南国フルーツが豊富な土地で内でも台南附近には有名な産地が沢山ある。そんな果物を扱って台南で一番古い果物屋さん「莉莉水果店」が「台南愛国婦人会館」の隣に有る。
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              【台南愛国婦人会館】
              【建物】大正年間(竣工時期不明)。市定古跡。
              【場所】台南市府前路1段195号
              今回訪問時は工事囲いが取れ奇麗に改修されていた。従前通り台南市立図書館として使用されているのだろうか。
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