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今日は、私達夫婦の大親友でもあり、現在住まいしているマンションの大家さん夫婦の結婚30周年のホームパーティーを我家主宰でいたします。写真にコメントをつけた10頁くらいの写真集をプレゼントした。我家のホームパーティーは参加者に2~3品の料理をお持ちいただきます。

まずシャンパン、ワイン、ビールを用意した(特別、用意をするまでも無く常備品だった)。料理は日本的な物を提供する事にした。日本的と言えば、やはり魚そしてマグロかな、という事で、まずマグロ料理を一品。

仕込み状態のマグロの目玉&頬肉です。
目玉は、酒・醤油・みりん・生姜で下味を付け、煮付けたのち冷蔵庫で煮凝りにします。
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頬肉はモンゴルの岩塩で味付けをし炙りにします。アンデスの岩塩は肉には合わないのかなと思う。
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台湾の人は野菜好きが多いので、リクエストによりサラダは2種類作ります。
トマトサラダ「トマトと玉葱のみじんきり&パセリのオリーブオイルかけ」
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「アボガダ&プチトマト&クレソンのオリーブオイルかけ」サラダ
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酒の肴を2品。
「エリンギのオリーブオイル焼きバルサミコソース」
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「カラスミの炙り&ニンニクチップ&クレソン添」
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我家、提供の主食は「カラスミ&ニンニクチップ&パセリのスパゲティ」。麺のように細く長く幸せにという意味合いを込めたつもりです。
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少し手抜きをしました。鶏のもも塩焼きの店屋物を盛り付けただけのものです。
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食後のデザートはマンゴーです。これは「土マンゴー」と言ってマンゴーの原種です。食べ方は指で押さえつけて柔らかくし果肉汁を吸います。口中にマンゴーの香りと味が広がり、果肉を食べるマンゴーと違った味わいがあります。
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後は食べて飲んで歌って踊って雑談をし友人夫婦の結婚30周年に花を添えます。これがメインディシュです。
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MRT(地下鉄)を降り地上に出ました。大概の駅近辺に「古跡導覧牌」という案内図が有る。この案内図と手持ちの地図で場所を確認して目的地を探すのですが、今日は「小南門」の写真を撮りに行く予定だ。台湾城は北門・東門・南門それとこの小南門を残すのみで後は全て日本人得意の古きを壊す行動で破壊されました。案内図を見ると、その途中に「原台湾軍司令部」が有る。面白そうなので立寄る事にした。

現地について、ビックリ。写真を撮るどころの話ではない。正面には機関銃で武装した警備兵が2人、こちらに向かって立っている。古跡に認定されているぐらいだから軍の手を離れているのだろうと思っていたのだが、現在も軍の施設だった。「国防部後備司令部」、字面から判断すると広報部のようなものかな?。

建物を道を隔てた所から覗き見すると建物正面の奇麗なエントランスが見えた。なんとか写真を撮りたいと思ったのだがカメラを向ける勇気が無かった。この一帯は官庁街の為、建物出入り口付近には警察官、道には50m間隔ぐらいで私服の公安が立っており、それでなくても気持の好い物ではないのに、おまけに機関銃。まったくダメです。

かろうじて、かなり離れた公安のいない所から撮った写真です。(小南門付近)
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【建物】1920年(大正9年)。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT西門駅徒歩10分。中正区(博愛路と愛国西路の西北交差点)
台湾総督府の陸軍部が前身。1919年(大正8年)軍の指揮系統を総督府から分離した。以後、台湾総督に文民を任命できるようになった。初代台湾軍司令官は明石元二郎第7代総督であった。第8代総督は文官の田健次郎男爵であった。
資料から拝借しました。入口の門、建物外観、現在そのままです。
270px-Taiwan_Army_Headquarters_of_IJA.jpg

華麗な建物でした。その内、撮影できる機会が有ると思っております。
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今日は8月16日、日本は、お盆の真っただ中。台湾は旧暦7/7七夕です。織姫さまと彦星さまが年に1回、天川でお会いするという昔話の世界は一緒です。しかし暑い。インターネットで大阪西区の最高気温を見ると34度になっている。台北は29度と表示されている。そんな訳ないだろう、何処で計ってねんと言いたくなる暑さだ。
暑さに負ける訳にはいきまへん。今日は、台湾統治において金融・経済面で重要な役割をはたした(旧)台湾銀行の写真を撮りに行った。

日本政府は統治開始3年目の1897年(明治30年)に台湾銀行を当時、商業の中心地であった「大稲埕」に設立した。現在地の「総統府」の北側へは1903年(明治36年)に移転したが木造建築で有った為、白蟻被害に会い、現在の建物を1938年(昭和13年)に再建した。重慶南路1段に面し、北から台湾銀行(経済)、総督府(行政)、高等法院(司法)、と並んだこれらの建物は、まさに日本統治の象徴そのものです。

写真右側の建物も台湾銀行です。現在は中華民国の台湾銀行として営業をしております。
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【建物】1938年(昭和13年)竣工。市定古跡。
【設計】西村好時
【場所】MRT台大医院駅徒歩7分。中正区重慶南路1段120号。

写真左端の小さな建物は(旧)帝国生命保険のビルですが、現在は台湾銀行がコンピューター関連施設として使用しております。現地の地図には国営事業委員会となっているものもあるが、どうなんでしょうか?
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帝国生命は日本生命、明治生命、第一生命、千代田生命と並ぶ大手保険会社、後の朝日生命の前身。
【建物】1930年代。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT西門駅(3番出口)徒歩10分。中正区博愛路162号。

司法院。現在は外壁工事中です。     (旧)台湾総督府(7/13/blog)
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この崩壊寸前の廃屋は台湾銀行頭取の官舎。木造とコンクリートの複合建築。1Fは宴会と会議室、2Fが宿泊施設となっていた。戦後は雑誌「自由中国」が反共の講演を恒常的におこない、歴史的に意義が有るとして「自由の家」の名称で市定古墳の指定を受けております。
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【建物】1902年(明治35年)。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT小南門駅


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113年の歴史を有する女子校の伝統スタイル。いつの時代から採用されたのか分からぬが日本の香りのする「白いブラウス」「通学カバン」スタイル。5~6年前に廃止が検討された際はNEWSに取り上げられるほどの反響があった。

校舎は3級古跡に認定されています。(中山女子高中)
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この建物は「林田桶店」から5~6分のところに有る、日本時代は小学校として使用された建物です。戦後は50年近く台北市役所として使用され、現在はモダンアートの芸術館と建国中学に利用者が変わっております。全体の雰囲気をこわさないよう修復を重ね利用されている事に頭が下がります。

小学校の全体像(3/2)です。信号から信号まで有り全体が写せません。100mはゆうにあるでしょう。
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【建物】1921年(大正10年)竣工。市定古跡。
【設計】近藤十郎
【場所】MRT中山駅徒歩10分。大同区長安西路39号。

校舎左側部分。 この奥に中学校が有る。
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正面部分。
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校舎右側部分。
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「林田桶店」の親父さんが言っていましたが、この小学校は日本人と一部の台湾人の子供が通う小学校だったようです。台湾人には入学試験が科せられ、日本語が流暢に話せないと合格はできず、殆どの台湾人子弟は公学校に通った。公学校の就学率はそれ程高くなかったようです。
これが小学校の建物かと驚くぐらい立派で、そして当時の政府が国の進むべき道を示しているように感じました。
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「中山北路」と「長安西路」の交差点に、赤レンガ造り2階建ての年代を感じさせる、ノスタルジックな、いとおしくなるような素晴しい建物が有ります。看板から推察すると現在は喫茶店に使用されている建物だろう。

ボロボロに錆付いた看板に書かれている「林田桶店」の文字、ところ狭しと陳列された檜の桶・おひつ・せいろ・風呂桶・ひしやく・・・・・・・・。 これぞ、私が探している台湾に息づいている日本だ。

このシチュエーションでは台湾語で声を掛けるべきなのですが、悲しいかな出来ません。たどたどしい普通話(北京語)で話しかけると、それはそれは流暢な日本語が返ってきました。「看板は創業の昭和3年から架けている」「暖簾は長崎のファンクラブから送られた」「昔は30人ぐらい台湾に職人がいたが今は自分1人だ」「今は又、檜の桶が見直されている」「50代の息子をつかまえてマダマダ若造だ」等等。

最期の会話が気になった。今から5~6分のところに有る「旧・建成小学校」へ見学に行きますと言ったところ、《あの小学校は日本人がいく学校で我々、台湾人は「公学校」という学校に通った。》この一言結構、重いです。
家に帰り林田桶店の話をすると台北の人間なら誰でも知っている店だといわれた。
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資料によると、この建物は昭和天皇即位の記念事業の一つとして1932年~1936年、4年の歳月をかけて建設された「台北公会堂」だ。歴史の皮肉か天皇即位記念の建物が、9年後には降伏式の会場になった。1945年9月25日、大集会場にて第19代総督安藤利吉と中華民国陳儀長官の立会いで降伏式が執り行われ51年にわたる台湾統治が終わった。

降伏式の会場「中正庁」。
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現在は一般市民の交流の場となっている。「中山堂」。
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【建物】1936年(昭和11年)竣工。二級古跡。 東京、大阪、名古屋の公会堂に次ぐ規模である。
【設計】井出薫
【場所】MRT西門駅徒歩3分。 中正区延平南路98号。

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昨日は*原住民の「頭目」の家に招かれ、豊年祭りに参加した。部落名は「阿美家園」です。名前のごとく「阿美族」の集落です。この村の民族衣装を着せてもらい村の広場で「飲んで踊って歌って食べて」の一日を過ごした。
近隣の村からも集まり盛大な祭りだったが、この時期には、各村で豊年祭りが繰り広げられる様だ。昔は3日3晩、宴が繰り広げられたと奥さんが言っていた。

私は外部からの招待者にカメラを向けられたり、一緒の記念撮影を依頼されたり、ヒロイン気取りだった。理由は頭の頭目の冠で、私もその気になり適当にわけの分からない言葉を発していた。家に帰り、自分の写真を見ると、このところの連日の写真撮影で真っ黒に日焼けした顔は原住民以上だった。

仙台から来たという子供連れの日本人男性に広場であった。なんでも奥さんが、この村出身で、この祭りの為に帰省したとの事だった。それにしても、どこにでも日本人が、いるものだと感心した。彼も私を原住民の頭目と間違えていたらしい。

今回の様に原住民家庭に招かれる事は初体験だったので、色々の新発見が有った。
原住民の集落には、台湾の何処の街角にもある、賑やかな「廟」が無かった。そして家中には十字架がかざられている。後で教えてもらったのだが殆んどの原住民はクリスチャンとの事だった。1段高い貴賓席には牧師が座っていた。

会話は「原住民の言葉」と独特のイントネーションのある「北京語」だ。年配の人は日本語も喋れるようだが、積極的には喋らないないようだ。

30代の男性と知り合いになったのだが、部族の名前は○○○タローだといっていた。日本名を付ける習慣が残っているのだろうか?

台湾全土に散らばる阿美族の人達は最初に漢人社会に同化した部族なのですが、途切れる事無く伝統文化が後世に伝えられており、これからも伝えられていくのでしょう。観光化されていない村での体験は刺激的だった。

*先住民、山地人は蔑視言葉です。

「阿美家園」の集落で一番奥に広場が有る。
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正装した子供達
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村の広場での踊り
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帰りには「九分」を過ぎ「宜蘭」方向に少し走った「鼻頭角」という地名の所で海鮮料理を食べて帰った。驚いた事に高級魚の5kg級のクエが水槽で数匹泳いでいた。ひやかしで値段を聞いてみると3万TWDと言っていた。日本とほぼ一緒の値段だ。

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私は以前よりコンパス(磁石)を持ち歩くのが趣味だ。知らない土地に行く時は絶対と言っていいほど携帯している。台湾に来てから地図の東西南北が磁石と一致しない。新しい物を購入しなければと思っていた。

今日も趣味の「日本人の足跡探し」に出かける時、磁石を携帯した。途中で道路の南北を確かめる為、磁石を取り出したのだが、やはり、うまくいかない。偶然、道路に羅針盤(?)が有ったので、自分の磁石を、針を北にあわせて置くと逆になってしまう。針を南に合わせるとピッタリだ。

磁石の針は北に合わせるはずだ。台湾は南半球なので針を南に合わせるのかな?

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磁石の針のグリーン色を南に合わせています。
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植民地経営を軌道に乗せるための台湾全土の鉄道網計画がこの建物で行われた。歴史的に大事な建物でしょう。
ネットで拝借しました。
ingからのパクリ
【建物】1919年(大正8年)竣工。3級古跡。
【設計】森山松之助
【場所】台北駅北。 台北市大同区延平北路1段1号。

現在はこのように囲いが施され無残な姿をさらけ出しております。
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囲いの隙間からかろうじて撮れた正面入口の写真です。
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右側の蒸気機関車が台湾最古の第9号機関車です。1871年英国avonside社製造。1872年~1895年まで東京新橋、横浜間を走り、その後1901年に台湾へ運ばれた。明治天皇のお召し列車を牽引した歴史を持っております。
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修復中という事だが、その様子は窺えず単なる現状維持と倒壊時の危険防止に塀囲いをしているように想う。数億あれば元の美しい姿がよみがえるだろう。日本政府さま無駄遣いをやめて、このような価値のある建物の保存基金が出来ないものでしょうか?。
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