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外資系の5☆ホテルがいくらも有る台湾だが、「圓山大飯店」は憧れとは言いすぎだが一度は宿泊したいホテルであろう。最近では撮影スポットのみになっているきらいも有るが。この「圓山大飯店」は戦後「台湾神宮」の跡地に建てられた「台湾大飯店」を改築(1952’)したものだと「中山北路」に有る台北の変遷を掲示している資料館で知った。

「台湾神宮」は1901’(明治34年)に「剣漂山」に創建され、祭神は北白川宮能久親王と開拓3神(大国魂命・大己貴命・小彦名命)及び天照大神としている。祭神の能久親王は台南の地で抗日勢力の平定中に病死した。これが出征先で病死したヤマトタケルになぞらえられ台湾鎮護の神とされ台湾にあるほとんどの神社が祭神とした。
又、資料館のある「中山北路」は1923’皇太子(昭和天皇)の台湾行啓に際し、「台湾神宮」に参拝する為に作られた勅使街道(現行政院から台湾神宮まえ明治橋、現中山橋まで)が基礎だという事だ。
「台湾神宮」は10/28の「台湾神社祭」に遷座する予定であったが、終戦間近の1944’10/23に圓山の山頂に旅客機が墜落し、そのとき新社殿や鳥居、石燈などを消失したとある。元の神社は?。

これらが、私が知り得た情報なのだが、なにか1部でも「台湾神宮」の痕跡がないか知りたくて出かける事にした。

手前の橋が明治橋(現中山橋)
01125_20100601115410.jpg

    ありし日の台湾神宮        初期の圓山大飯店
台湾神社 IMGP3477.jpg

ホテルへの入口経路は3箇所あります。
「北安公園」側         「剣漂公園」側         「中山北路」側本来の入口 
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「北安公園」「剣漂公園」へはホテルからの地下道が有ると云う事は知る人ぞ知る。

使用されていないトーチカ     国共内戦時の山西省のある部隊を祭っている忠烈嗣
P5310025.jpg P5310020.jpg P5310019.jpg

「圓山大飯店」の正面入口      「圓山大飯店」の威容
     変わり者ゆえまともに正面から撮っていません    
P5310015.jpg P5310001.jpg
新しい台北のランドマーク101を「圓山大飯店」から写す
P5310016.jpg

半日歩き回ったが「台湾神宮」は跡形も無く消えていた。終戦後殆んどの神社は破壊または改築され中華民国の戦死者を祭る忠烈祠になった。1箇所のみ桃園県にある忠烈祠が地元民の強い要望で、日本時代のものがそのままのこされているとの事だ。

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