上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
台北には多くの歴史建築物が残されており、古跡に指定されているものも多くある。その中でも筆頭は、南国の風を受け青天白日滿地紅旗を、たなびかせている中華民国総統府、かっての台湾総督府だろう。写真では伝わりませんが威風堂々とした威容に圧倒され旅行雑誌で得た知識が、もろくも崩れ去りました。私の実感では日本近代建築物の中でも筆頭にあげられる建築物のような感じが致します。

【建物】1919年(大正15年)竣工。国定古跡
【設計】長野宇平治 森山松之助
【場所】MRT新店線[台大病院]駅から徒歩6分 (台北市中正区重慶南路一段122号)
P6050049.jpg
[東門]から延びる[凱達格蘭大道]が突き当たる[重慶南路]に面する日本統治50年間で建築された最大の建築物だ。台北の日本人居住区である城内のほぼ中央に位置し、高さ60mの中央塔(台湾初のエレベーターが設置されている)からは、当時の台北全体を見渡せたそうだ。
P6050061.jpg
建物は日本の方向、東向きに建っており、上から見ると、日本の日を型取っています。そして四隅の出っ張り部分は喫煙室だったそうです。
台湾総督府.jpg
《PS》
現在、1F部分は一般公開されており、ボランティアの白髪の、お爺さんが「戦後の日本人の生き方」「自分達の生きた戦前の日本」、日本への思いを込め一生懸命に、歴史を語ってくれます。白髪のお爺さんは元日本陸軍特別志願兵「蕭錦文」さん84歳です。私達戦後の日本人が捨去った日本人の心を持った素晴しい日本人(台湾人)です。

陳水扁政権が台湾正名運動の一環として総統府に面した道を「介寿路」から「凱達格蘭大道」に変更した。
凱達格蘭族(ケタガラン)は、現在の台北県・台北市・基隆市・桃園県一帯に広がる台北盆地に居住した民族で、商いや航海に長け、早くから漢人や南蛮人・日本人との交易で栄えていた。鄭氏政権の頃から漢人との同化が進み、日本統治時代初期には既にケタガラン独自の文化というものはほとんど消滅していた。しかし台北北部にはケタガランの言葉に由来する地名が多く残っている。「艋舺」や[北投]などの地名はケタガラン族の言葉に漢字を宛てたものである。
関連記事
スポンサーサイト
TrackBackURL
→http://shikaso.blog100.fc2.com/tb.php/328-9772381e
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。