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士林地区の「芝山公園」に教育の聖地と言われる場所が有る。ちなみに広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

「芝山巌事件」の舞台となった現在の「芝山公園」入口
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国語塾「芝山巌学堂」は「芝山巖惠濟宮」の後殿を使って開設された。
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惠濟宮の住職は、国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれました。
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戦後、倒され放置されていた伊藤博文揮毫の「學務官僚遭難之碑」
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立て直された状態の良い「故教育者姓名碑」。台湾人教育者の名も刻まれています。
周辺には破壊され放置されている碑が数個あり、これも歴史を物語るものとして貴重な資料です。
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「芝山巖神社」の参道跡
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芝山巌の頂上に建立された殉職「六氏先生之墓」。
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芝山巖學堂が開設されて百年目の1995年(平成7年)後身の士林国民小学校の卒業生有志によって再建された。

開校3か月後の(1895年明治28年)10月19日には第一期学生7名が卒業しております。
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PS.「芝山巌事件」
1896年(明治29年元旦)台北北郊の芝山巌で日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺された事件。

1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた日本は6月に総督府を、そのわずか1か月後の7月には芝山巌恵済宮に国語塾「芝山巌学堂」を開校した。
これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたのだろう。
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日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されており「芝山巌学堂」の6人の教師達に避難することを人々は勧めた。
しかし教育に命を懸けていた教師達は意に介さず「芝山巌学堂」を立去らなかった。そして叛乱勢力の襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事だ。このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称され教師の目指すものとされた。
関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
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この事件を機に芝山巌は“教育聖地”と讃えられ、1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

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